シャンソン歌手  堀 哲也の日々雑感

はじめに

皆様、はじめまして!

シャンソン歌手・歌唱アドバイザーとして活動しております堀 哲也です。

この度、新年を機にブログを始めることにしました。(今頃になって、、、。)

本当は昨年8月の誕生日からと思い書き始めたのですが、いざ書こうとすると全く文章が

出てこないのです。すでにブログをやっている方々を大尊敬しました。

歌の仲間に話すと「何も沢山書かなくても応援くださる方に日々の報告をするつもりでいいんですよ!」と、言われ少し気が楽になり本日より開始することとなりました。

        これから歌の事、日々の事などを書いていきますので、どうぞ、よろしくお願い致します。

春の高校バレー

先日8日に終わった春の高校バレー。皆さん、会場で御覧になったことがありますか?僕の出身高校の女子は常連出場校で長年の名門高です。同級生には全日本ジュニア、後輩には全日本に選ばれた選手を輩出しています。

今年は都合がつかず応援に行けませんでしたが、高校生達の熱気がすごい、全国大会の常連校は応援団が統一されていて見事なものです。さらに有名選手がいる高校のコートはスターオーラでそこだけ輝いて見えます。

我が母校は残念ながらすごい接戦で初戦敗退でしたが、皆さん来年は是非、東京体育館へ足を運んでみてください。元気なパワーをもらえますよ! 

シンデレラ サマー

2018 1月23日(火)  今日は1・2・3の日です。元気よく張り切って行きましょう!!

 

さて、昨日の東京は本格的な雪の日になりました。こんな時にサマーなんて夏の言葉を持ってくる感性は如何なものか?

昨晩、録画してあった「僕らのポプコンエイジライブ2017」を見ました。ポプコンは我々世代には説明は不要だと思います。その中で2番目に登場した人が何と石川 優子さん。そして歌うは「シンデレラ サマー」文句なしに懐かしー!!の一言!!聞けば2016年に26年ぶりに再開したとのこと。彼女曰く「私もあの頃に戻れる、皆さんも戻れる歌のタイムマシーンパワーですね!」と。おっしゃる通り。ファンだったので興奮しまくりでした。おまけにChageとの「ふたりの愛ランド」まで歌ってくれてもう夜中に涙ボロボロでした。 大学生の時に地元金沢工業大学の学祭にゲストで来て一番前で見て感動した若い日を思い出しました。ほんとに懐かしい!!

ポプコンと言えば続きの話がありますのでそれは次回に!!        

シンデレラ サマー2

2018 2月14日(水)  今日は、バレンタイン デーです。(あまり関係ないけど(笑)

さて、前回の続きのお話をやっとします。   ポプコンと言えば当時のフォーク少年・少女の憧れの場所。でも、地区予選を勝ち抜くだけでも大変なこと!ちなみに僕の田舎の金沢は中部地区になるので石川県代表だけでは出られません。そんな難関を突破して本大会で優秀曲賞まで頂いた人が僕の歌の仲間にいます。

その人は第25回大会に東北代表で出場し、「花嫁」という楽曲で優秀曲賞を受賞したアベ サチコさん(現在は、Sachikoとして活動中)です。何年か前に{花嫁」をユーチューブでアップしたら「この歌を探していました!」のコメントが来たほど。現在は、神奈川県の戸塚市を中心に活動しています。今の時代に自然体な詩で歌う彼女の歌は心に沁み入りますよ。 そして、もう1人は、長年、僕のコンサートの伴奏をしてくれるピアニストの近藤 正春さん。彼は、シャンソンをはじめ役者さんとのコラボライブやアレンジャーとして幅広く大活躍しています。

彼は、静岡出身の関係で学生時代からポプコンのアレンジなどの裏方さんとして活動していました。

その彼が第25回に優秀曲賞に選ばれた人のアレンジで参加していました。

つまり今から何十年前(正確に書くと年がばれる)の同じ時間・同じポプコンの場所にこの2人は居たのです。

そして、この2人が再び出会ったのがルエルなのです。(出会ったと言っても恋人同士の再会ではありませんので)

音楽でのつながり、人との御縁というものを感じます。 このお2人は今もこれからもルエルにとって大切な仲間です。

ちなみにこの第25回大会のゲストは石川 優子さんでした。こちらの御縁はないものでしょうかね?

以上、引っ張った割に中身のないお話でごめんなさい!!

スー、ズー、ぺロッ!!

2018 4月19日(木) あのね、あなたね、このブログはいつ以来の更新か分かっているの?だから言わんこっちゃない「ブログなんて続かないから止めなさいって言ったでしょ!?」

まあ、いいでしょう、それで今日は久し振りで何なんですか?

最近、テレビを見ていて思うことがあります。 アナウンサーや司会者が話の初めや切れ目でスーとかズーとか舌をぺロッと出したりする人が多くなりました。お笑いタレントならまだしも、ちゃんとアナウンスの教育を受けた人たちまでがやっていることにがっかりします。子供たちにこれが当たり前という感覚が身に着かないことを切に願います。 おお、久しぶりの更新で今回初めてブログのタイトル通りの日々雑感でしたね!

これからもがんばってね!! はい、ありがとうございます!! 

OOホテルのコンシェルジュの方からの電話

2018 4月20日(金) 昨日の久しぶりのメールの次がずいぶん早いね!

昨夜のことです。僕の携帯に知らない番号からの着信あり。出てみると女性の声。ああ営業の電話だな?と、直感。すると「私、OOホテルコンシェルジュのOOと申します。」とのこと。聞けば当店への今日、明日の営業の問い合わせでした。ホテルのコンシェルジュの方からの問い合わせは初めての事。ちょっと驚き!!昨晩は、お見えになりませんでしたが、今夜は問い合わせのお客様にお会いできるかも?!の期待を胸に今夜もがんばります!! 本日は、マヤ 堀越・堀 哲也・横尾 直子の3名でお待ちしております!! 開店は。19時~です!!

西城 秀樹さん

2018 6月12日(火) 前回ブログからこんなに空いて遅い話題ですみません!!

当時、新御三家と言われた3人。 かっこいい秀樹、歌の上手い野口五郎、可愛い郷 ひろみと言われましたが、秀樹の追悼番組を見る度に「歌が一番上手いのは秀樹だったな!」と、改めて痛感しています。

ハスキーな声と今風に言うとシャウトした歌い方(昔はそう言わなかった)で歌うLove Songは男のかっこよさが漂って本当に心に響きますね!若い頃は分からなかったな!? 大学生の頃は踊れもしないのに2次会でディスコ(今のクラブ)にも行きました。当時のディスコは¥3000位でフリーフード・ドリンクだったので安く飲み食いが出来るというのが理由。そして唯一の出番がYMCA、それが終わるとまた飲み食い組に戻るという具合でした。懐かしいな?

最近はその頃の時代の人向けのディスコがあるとか。それでは、また、よろしく!哀愁!(あっ、これは郷 ひろみか!)

私ごとですが、、、。

2018 8月22日 私ごとですが、、、なんて書くと「もしかして哲ちゃんの結婚報告!!!」なんて思う方もほんの少しいらっしゃるかも?残念ながらその御報告ではなくて昨日は私の何十回目の誕生日でした!!!

今でこそ183cmの身長の男ですが、産まれたときには真っ青な顔で「オギャー!」と、言わなかったとのこと。「これはダメだ!」と、両親が覚悟したら奇跡的に助かり,一安心したら生後2カ月で肺炎にかかり「今度こそダメだ!」と、再度覚悟したとのこと。幼児の頃は祖母に背負われて病院通いばかりしていました。

子供の頃に病院に慣れているので大人になっても病院に行くことに抵抗がないのはこのおかげでしょう!? そんな幼児時代だったので誕生日ごとの母の口癖は「よくここまで長生きしたもんだ」です(笑) 本当に感謝・感謝です!! 

人は産まれてきたからには何か人様のお役に立つ使命を背負っていると思います。自分の場合は歌を通して皆さんに喜んでいただくことが使命であると改めて認識しています。今後ともどうぞよろしくお願い致します!!

新しいお財布

2018 9月6日  先月の誕生日を機にお財布を新しい物に変えました。ちょうど止める部分が壊れかけていたので良い機会と思い変えました。財布の表面生地も柔らかく気に入っているのですが、何だかこれに変えてからお金が出て行くことが多いような気がします。お財布にも金運があるのでしょうか?自分の浪費癖がたまたま新しく変えた時期に多く発生しているだけの事と思いますが、タイミングが良すぎてお財布のせいにしたくなります。

今年もあと4日  シャンソン歌手 古賀 力さんを偲ぶ(1)

2018 12月28日  今年の元旦より始めたこのブログ、今日までたった11回のアップのみ。何とも情けないことか!

今年中に書いておかねばならないことを急いで書きます。

今年、フランスではアズナブールが亡くなりグレコが引退したとのこと。「もうシャンソンは終わった!」と、言う人もいるくらい。そこで古賀 力さんについての思い出を。 古賀さんは失礼ながら声をしっかり出して歌う歌手というより言葉を大事に伝えるというタイプの歌手であったと思う。このスタイルは故高野 圭吾さんにもみられるスタイル。今の現場にはまずいないが、僕が唯一、今いると思うのは銀座のFさん。彼は若い頃から吟遊詩人的な歌い方で独特な人でした。

話は古賀さんに戻るが、若い頃の僕は古賀さんの良さが分からなかった。ある時、夜中のテレビで「フランシーヌの場合」が流れていてその後半に歌詞をフランス語で語る人が古賀さんだった。これを聴いた時に「やっぱりこの人はシャンソン歌手だ!」と、思ったことがありました。さらに何十年前のある日、晴天の日曜日の銀巴里午後のステージのトリが古賀さんでした。最後の歌が終わり終演の御挨拶の時に「先ほどから外は大雨が降っておりますのでお気をつけてお帰りください!」とのこと。みんな「えー!晴天だったのに?」と、大きな驚きの声が上がる中を古賀さんは、してやったり!の笑顔。そのお顔を見てみんなが気付いた「やられた!今日はエイプリールフールだった!」ということがありました。自分には絶対こんなことは言えないなと思いながらシャンソン歌手は洒落た会話も必要だ!と、その時に学びました。今の現場にはこんな洒落たことを言える歌手はいないだろうなぁ?と、感じながら良い経験をしたものだと今は痛感しています。

明日は、古賀さんのお店「ブン」と僕の赤坂の思い出について書きます。

シャンソン歌手 古賀 力さんを偲ぶ(2)

2018 12月30日  本当は昨日に書かなければいけなかったこと。古賀さんが亡くなられた記事が出た日のヤフーニュースのコラム欄に「とても有名な方なのでしょうけれど私は存じ上げませんが、御冥福をお祈りいたします。」とのコメントがありました。おっしゃる通りにシャンソン界ではとても有名な方、多くの歌手達が古賀さんの訳詞を使わせていただいている。

さて、古賀さんの経営していた赤坂の「ブン」と言うお店は赤坂の一ッ木通りにありました。僕は、同じ一ッ木通りにに20代の頃3年半働いていました。時はバブルの最盛期、大人の街 赤坂の最後の良き時代をそこで過ごしたことは我が人生の自慢すべき思い出の一つです。その通りの中でも失礼ながら一番ぼろいビルの2階にありました。お客様は、古賀さんを友と慕う人、または親父と慕う男性のファンが多かったように思います。訥々と語るように歌う古賀さんに対して柔らかい歌声で歌う奥様とのアンバランスがお店のバランスを取っていたような気がします。人が歌手に対して求める物の多種多様性を若い頃に学ばせていただきました。ちなみにそのおんぼろビルは最後の最後まで建て替えはしませんでした。もっと色々な事を書こうと思っていましたが、文章が出て来なくなったのでまたいずれ追加します。

 

当時のみすじ通りの料亭街では毎夜、毎夜に黒塗りの車が止まり政財界の大物たちが通っていた大人の街 赤坂の最後の雰囲気を味わったことも僕の人生において本当に良き思い出です。今は、見る影も無くなってさびしい限りです。 それでは、また!

東京都内のタクシー

2018 12月30日 皆さん、お気づきでしょうか?ある時から都内を走るタクシーの車の形が変わったことを。何かサンダーバード4号みたいな形の車です。タクシーに何回か乗った時に運転手さんに聞いたところによると、もう自動車会社では例えばトヨタのクラウンタイプのタクシ仕様の生産は中止したそうで、いずれはサンダーバード4号タイプの車種に代わるそうです。日本の裏道は狭いので代わる車の方が小回りが利いて良いと思いますが、何かつかのまでもタクシーに乗ると言う贅沢感が無いような気がして個人的にはとても残念です。

皆さんも一度、乗車してみてください。

今年のブログは本日をもって終了します。来年は今年よりもアップします。日々の事を中心にシャンソンや歌の事も書いていきたいと思っています。 皆様、どうぞ、良いお年をお迎えください!!  堀 哲也